thalaj

書く事で自分と見つめあって、少しだけ癒される

あちこちに短編小説が散らばってて困る 2020/10/06

今日は久しぶりに18時半ごろに上がった。

本当は18時の定時で上がれるくらいの余裕があったが、私の展示会準備のために庶務を押し付けている一人である向かいの席の先輩がまだまだ残っていたので申し訳なさで少しだけ残ってみた。

この時間に帰ると、夕飯がきちんと食べられる。気持ち悪くならない。美味しく食べられる。私はそれが嬉しかった。

さらに夜になってガッツリと本を読んでも、まだまだ日付は超えない。

ツイッターで知った宝石商の番外編が二つ、しかもこれがなぜきちんと文庫に入っていないのか不思議になるようながっつりと本編に絡んだ番外編だった。

これは番外編とは言わないのだろうか。

 

ところで私は近々「新社会人に勧めたい本」について文を書かないといけないらしいが、まったくそう言った本を手にとれていない。

辻村先生の生み出す言葉の海にずっと埋もれていたい。この辻村色の言葉が好きだ。私も私色の言葉を紡ぎ出せるようになりたい。

そんなふわふわした憧れでずっと読んでいるが、いい加減にアウトプットをしないといけない頃だろうなとは思っている。

 

放置していた10月のコラムのテーマも考え始めたが、根本的に「この連載って一体なんなんだ」という感情でいっぱいになった日だった。

上司が変わるのと合わせて内容が変わっている感じがする。それでも最近の記事の反応は悪くないのだが。でも上司ありきの視点と言った感じが拭えない。私が作っているという感じがしない。でも書き手は書き手であって、誰かの視点を私の言葉を通して人に伝える役割なのだからそれでいいのかもしれないけれど、それだけでは足りないだろう。

 

それから、これまでの展示会の資料作成はいかにもな編集作業だったんだなと振り返って思った。

後輩にエディトリアルデザインをまかせ、私が文字を書く。

なるほど確かに、そういった役割の人間がいるのはいいのかもしれない。

言葉にしてまとめる役割。