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「我算是个神仙吧(Wǒ suànshì gè shénxiān ba)」 2020/02/08

なんとなく藍渓鎮が恋しくなったのでビリビリで読んでたんだけど、やっぱり中国語が読めたらいいのになあと思わざるを得ない。ので気になった単語を調べてみることにした。

字幕組に行けば日本語訳あるんだけどそうじゃなくて。構造とか細かいところを知りたかった。

 

我算是个神仙吧(Wǒ suànshì gè shénxiān ba)

逃走兵に向かって老君が自己紹介するシーン。個人的に自己紹介で出てくる単語は覚えておくと後で結構出てくる。

我(Wǒ )は我。

算是个(suànshì gè)で「である」になるらしい、らしいけどちょっともう少し分割して考えたい。個人的には个がよく出てきてきになるのでその前後で切りたい。あと是はBe動詞だった。 我也是妖精(Wǒ yěshì yāojing)、私も妖精だよ。

算是(suànshì)は「だとみなす」。算数の算だから自分をそうであると見積もる感じがする。他の意味は結局。まずまず。ひとまず。など。

个(gè)ってどうしても上向きの矢印みたいに見えて気になってた。↑じゃん。中国語って←↓↑→全部漢字ありそうだな。みたいなアホなことも考えたんだけどこの文字日本にもあるらしくてぶったまげた。「1箇月」「三箇条」「数箇所」の箇の略体が「个」らしい。日本語でも「か」で変換するとだいぶ下の方に出てくる。「个」がさらに略体化されたのが「ヶ」なんだと。カタカナの「ケ」は「介」が元の字だから起源が違う別の字らしかった。そうなのか。確かにちょっと向き変えたら同じ字だな・・・。話を戻すと、数字を数える時に使うもの。日本と同じ。あとはへりくだるときにつかう「一介の」を中国語で「一个(Yīgè)」というんだそうで、その略として使われることがあるそうな。今回はそんな気ゲする。

吧(ba)は「でしょう」とか「でしょうか」みたいに語尾をやらわげたり同意を求める単語。確かに老君が話してる時いつも「〜〜ば」って言ってる気がする。なんて上品な老君なんでしょうか。

 

ということで自分なりに翻訳します。

 

「我算是个神仙吧(Wǒ suànshì gè shénxiān ba)」

=「私は一介の仙人といったところです。」