thalaj

書く事で自分と見つめあって、少しだけ癒される

イベント終了!!! 2020/10/08

「なんで平にまかすんやろうなあ」

緊張感を見せない先輩は、職場から最寄りの駅へ向かう地下道で笑ってそう言った。

うちの本部にとって、初めての展示会、初めてのセミナー。なんでそんなたいそうなものを、入社3年目の平社員に任せるんだろうか。そう笑いながらいう様子はまんざらでもなさそうだ。

まだ入社してたったの3年しかたっていないのかと、頼れるくまさんみたいな先輩の隣で歩いていた私はびっくりしてそのことを伝えると、ああ、と呻いてひとりごちた。

「もう3年もいんのか」

片親で、飲食店でバイトをしつつ舞台に立っていたが人間関係に疲れて今の仕事を始めたという経歴をほんの少しだけ話してくれたときの先輩は、いつも明るく人を笑わせようとする陽気な笑顔がどこかにいってしまい、無表情のまま一点を見つめていた。

どんなことを思い出していたんだろうか。いろいろあったらしい。

 

セミナー会場に着くと、私はその大きさに圧倒された。なんだこれは。方向音痴殺しだ。広すぎる。広すぎるし、縦横斜めに繋がるスロープがわずかに残されていた方向感覚を全て粉々に砕いた。

前日に接続テストでここにきていた先輩の後を静かに歩き、収録する会議室に向かう。

やっとこさたどり着いた会議室は、いや、会議室なのかと思っていたが、会議室というより、体育館だった。床は黒いが輝きのあるつるつるした上品なタイルが敷き詰められている。壁も真っ黒。天井も、柱みたいなものが見えるデザインになっているが見えているものはみな黒い。上品な黒い空間だ。しかも広い。80人くらいの楽団でも余裕で使えそうだ。撮影用の机やら椅子やらが、会場に入って一番奥の壁側にポツンとセットされているのがもの寂しい。中に入ると静かな空間に足音が響く。体育館というのか、楽団やバレリーナが練習に使っていそうな空間だ。こういうところをなんと表現すればいいのかわからない。

なんとなく音を立ててはいけないような気がして静かに入って荷物を置いてパソコンを取り出していると、撮影スタッフらしきワイシャツの男性から声をかけられた。首からスタッフ用と思しきストラップをかけている。物腰の柔らかな人だった。

登壇者や撮影の方法について私と先輩に教えてくれる。パソコンと原稿を取り出し、撮影用の椅子に座ったくまさんみたいな先輩は、硬い表情で原稿を読み返していた。

取り乱さないが、それなりに緊張しているのが伝わってくる。30分前に会場に着いたのでまだまだ時間はあるが、一度トイレに立った後は物凄い集中力で原稿を読み込んでいた。

そんなことをしている間に、会場の準備スタッフをしていたチームリーダーがふらっと体育館みたいな会議室に入ってきた。部屋のせいかもしれないが、いつもより綺麗なスーツを着ているように見える。この部屋と撮影用の照明のあかりによく映えるライトネイビーのセットアップだ。耳には無線のイヤホンをして、首からイヤホンコードをぶら下げて手には握り拳くらいのトランシーバーを持っている。いかにも会場スタッフという雰囲気で、ちょっとうらやましい。

くまさんみたいな先輩が荷物を置いていた、撮影セットの真横にあるテーブルに席をついて、下を向いていた。多分誰かと連絡をとっている。

私もトイレに行って、戻り、原稿に穴が開くほど睨み付けている先輩をぼーっと眺めて、本番を迎えた。

カメラが回り始めた後の先輩は、圧巻だった。

原稿はあるが、自然なトーク。実体験を交え、スライドとスライドの間で次に進む自然な説明をつけ、こんなどうしようもないスライドを使って時間配分ぴったりの見事なスピーチをしてくれた。

リアルタイムで3問ほど視聴者から質問を受けたが、トランシーバーを机に放り出しているリーダーがスラックで模範解答をまとめてくれて、リモートで新入社員の女の子がチャットに寄せられた質問をドキュメントに書き写してくれていたので、私は模範解答をそれに合わせて書き写し、透明パネルを挟んだ1メートルほどのソーシャルディスタンスで先輩にそれが見えるように調整をした。

5分前に終わらせた先輩に書き写した自分の画面を向け、そちらを見つつなんとか乗り切ってくれた。

 

「お疲れ様でした〜〜〜」

笑顔の撮影スタッフがそう告げ、その場にいた全員がほっと胸を撫で下ろす。成功だ。リーダーは笑って茶化しつつも「まあいいんじゃない?」と言ってくれたし、興奮冷めやらぬ様子の先輩は「楽しいからまたやりたい」と前向きな姿勢を示してくれた。嬉しい。

本当は就業時刻まで30分くらいあったけど、先輩と打ち合わせてこれで直帰した。

これまで頑張ったんだ。今日くらい許してくれ。

 

昨日まではまだ仕事をしていたような時間に風呂と飯を済ませて、20時半には部屋にこもった。

声をかけられていた編集の仕事の関係者と、軽くオンラインで雑談をする約束があったからだ。

ちょっとネットで調べた感じは、そこまで目立って待遇の良さそうなところではないだろうと言ったところだ。専門誌を作っていて、内容はシンプルでわかりやすい。今書いているコンテンツと内容も近くて抵抗がなかった。

社員の方と話をすると、数年前に内定を蹴り飛ばして消えたどこかのコンサル会社に社風がそっくりだ。魅力的すぎて逆に警戒してしまう。

身の振り方を考える時期にきているようだが、とりあえずまたしばらくしたら女性の方も連れていただいて同じように話がしてみたい。興味はすごくある。