「拨雪寻春,烧灯续昼(Bō xuě xún chūn, shāo dēng xù zhòu)」は、つまりだよ? 2021/02/04
これまでの調べたものと考察をまとめてみる。
「拨雪寻春,烧灯续昼(Bō xuě xún chūn, shāo dēng xù zhòu)」は、中国と日本で展開されているラジオドラマ「魔導祖師」のテーマソング「何以歌(Héyǐ gē)」に出てくる歌詞の一文。
翻訳を見てたらすごく素敵だなあと思って、しかも古い詞の一節だと知ったので調べています。以上ここまでの解説。
他サイトのとおりだけど、直訳すると「雪をまわして春を訪ね、明かりを灯して昼を延ばす」という怪奇な文章になります。
私個人の都合の良い解釈にするとこんな感じになる。いやもうもはや翻訳ではないので解釈した結果生まれた情景はこんな感じです。
吹雪が止んだのは10日ぶりだった。
元から大して蓄えられていなかった食料は徐々に底を尽き、水もろくに飲めない状態で5日が過ぎ、いい加減飢え死ぬかと思われた矢先に太陽が顔を見せた。
私は雪ののしかかる扉を開けて家の外に出る。雪に沈まないよう板のついた靴を履いているのに、簡単に腰まで雪に浸かった。久しぶりに降り注ぐ日光が空っぽの胃袋と雪景色を照らして眩しい。前回太陽に見せた姿よりもふたまわりは小さくなった体で背伸びをして、目を細めながらあたりを見渡した。
360度雪景色のこの場所には、草1本生えていない。葉のついていない木々は雪がこびりついて別の怪物のようになっている。小春日和だが、まだまだ雪解けには程遠い。それでもあまりに寒く厳しい冬が終わるのがどうしても待てなかった。
私は足元の雪をおもむろに掘り始めた。体を屈めて両足のすぐ前のあたりを掘った。道具を使わずに手袋を雪まみれにして掘った。雪は溶けて手袋が濡れた。手袋が濡れて手が冷え切った。それでも私はその場に穴を開けることをやめようとはしなかった。雪が茶色くなり、土が現れた。
私は嬉しくなった。春が来るような気分になった。土と同じ色で硬直した手のひらで土を掬った。もう片方の手でそれを包み込んで、胸の前で抱きしめた。そのまま膝をついて茶色い雪の上に寝転んだ。太陽が私の体を足元まで照らしていることが気持ちよかった。
明日旅立つこの街を、彼はしずかに眺めた。いつの間には日は傾いて、まもなく夜になるところだった。
今日が終わらなければいいのに。そう願っても日は沈んでいく。別れを惜しんでくれた彼らからの贈り物の横を通って、寝台の横の明かりを灯した。暗くなったら今日が終わってしまうと思ったからだ。
明日に向けて時を刻む景色から逃れるように、ぴしゃりと窓を締めた。部屋の内部を振り返ると、柔らかい明かりがささやかに部屋を照らしていた。これでは足りない。これでは昼間の明るさではない。台所にある明かりを持ってきて、部屋の反対側に置いて灯した。
部屋の土壁がさっきよりも白く見えた。これなら、昼間の気分でいられるだろうか。
そんなことを考えながら、その日は眠気に負けるギリギリまで部屋を眺めていた。