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書く事で自分と見つめあって、少しだけ癒される

映画館で見るナウシカはビデオの5倍凄かった 2020/07/02

ナウシカチケット取りました」

今日は弟の仕事が休みだったらしい。

「休みの日に何もしないなんて考えられない」

と美容院に行ったと思ったら、髪を切られているはずの弟から珍しくラインが来た。

 

今、劇場でジブリ映画が上映されている。

ナウシカもののけ姫千と千尋の神隠しゲド戦記

もののけ姫千と千尋の神隠しはすでに見に行っているようで、ナウシカを家族で見ようという誘いだった。

 

20:20からのチケットを3枚。

めったに映画を見ない家族が、さらに珍しく3人全員で、しかも平日の夜にレイトショーで見に行くなんて本当に全く珍しかった。

 

映画館で見るナウシカは5倍凄い

映画が始まると、わかってはいたものの、現代の映画と比べるとはるかに劣る画質にもどかしさを感じたが、すぐに気にならなくなった。

 

今まで何度も自宅にあるビデオやDVDで観てきたはずのナウシカだが、映画館で観るとまるで違う。衝撃波は5倍以上だ。

注釈やナレーションがなく、私たちが生きる世界とは全く違う舞台でスピード感をもって進んでいくストーリーにどんどん引き込まれていく。

 

ナウシカは「ひやひや」を楽しむためにある映画だった

一番驚いたのは、映画館の巨大なスクリーンで見ると、前方に向かって深く沈んでいく谷に向かってナウシカメーヴェで飛び立つシーンはその高低差で鳥肌が立つということだ。

ジブリの映画の中で唯一公開時に映画館で観たのは千と千尋の神隠しだが、あの映画を見たときも、勢いよく階段を駆け下りる千尋のシーンで劇場にいた子供たちはみんな悲鳴を上げていたが、もしかしてジブリには必ずそういった「ひやひやポイント」があるのかもしれない。

 

内容がわからない子供でも、見ていてスリルを楽しむことができる。

 

ナウシカに至っては、もうその「ひやひやする飛行シーン」を見るためだけにあるのではないかと思うくらいの作品だった。

 

戦争の被害体験の反映と共存のメッセージ

皆さまご存知の通り、後半は子供のオウムを餌にオウムの大群を呼び寄せられ、風の谷は滅亡の危機を迎える。

しかし、餌にされた子供オウムを助け出し、大群に跳ね飛ばされながらもナウシカがその怒りを鎮める。

 

人々の暮らす街を次々と襲う虫たちや、人の肺に入ると5分で肺が腐ってしまう腐海の森は、一見恐ろしい。

様々な軍がそれらを焼き払おうとするのも無理はないのかもしれない。

 

しかし、ナウシカは「きれいな水で育った腐海の生き物たちは毒を吐かない」ことに気付き、虫たちとも心を通わせることができる。

 

何となく、これは宮崎駿が見てきた「戦争」の世界をそのまま写しているんじゃないかと思った。

戦争中の人々にとっての敵の姿は、同じ「人」だとは思えないほどだったのではないだろうか。

言葉が通じず、毒を吐いて自分らを殺そうとする「虫」に変わりがない存在だったのではないか。

 

しかしそれでも、こちらが心を許せば通じ合うことができる。

言葉や生き方の違う仲間とも、共存することができる。

 

そういう事を、ナウシカはきっと言いたかったんだろう。